Phd graduate in 24 years

ネガティブで先延ばし癖のある私が文系博士課程の大学院生として生きた証。D1年目。

親知らずを掘り起こした

世界には2種類の人間がいる。

親知らずを抜いたことのある人間と,抜いたことのない人間だ。

親知らずなんて生えないにこしたことはないし,どうせ生えるならまっすぐ生えて欲しい。

しかし,残念ながら私は前者になってしまった。

 

今日,水平埋没の親知らずの治療をした。

親知らずを抜くのは3度目。

これまでに抜いた歯は曲がりなりにもちゃんと地上に顔を出しており,上の歯は歯科医の力技で抜いてもらうことができた。

ひょっこり顔を出した親知らずには,小学校国語の教科書に載っていた工藤直子「ふきのとう」の一節を彷彿とさせる健気さがあった。

 

ふかれて ゆれて とけて ふんばって もっこ

ふきのとうがかおをだしました

「こんにちは」

もうすっかりはるです

 

一方,今回の親知らずは,待てど暮らせど地上に顔を出さない。

何度も言うが,別に生えてきて欲しいわけではない。

しかし,どうせ生えるのであれば,まっすぐ生えるのが礼儀ではないか。

 

横にニョキニョキ生えた親知らずはある日突然痛み出した。

親知らずというものは諸悪の根源であり,炎症をおこしたりすることがある。

親知らず周辺に痛みを感じ,鎮痛剤を飲んでもおさまらず,挙句の果てに全然関係のない歯までもが痛み出した。

 

歯医者に行った際には,すぐに抜いてもらえるものだと思っていた。

埋まっている歯は歯茎を切って取り出す必要があることは知っていたが,それほどおおごとではないと思っていたのである。

「抜歯は2週間後」

「1〜2週間苦しむことになる」

「抜糸をする必要がある」

禍々しいワードを聞く中で,ことの重大さを認識し始めた。

もはや「オペ」である。

 

そんなこんなで迎えた今日。

因みに,以前この歯医者で上の親知らずを抜いた際には,麻酔が効かず,3度打つハメになった。世の中には麻酔が効きにくい人間がいるそうだ。

歯医者なんて,レビューできるほどたくさん行く場所でもないから,病院によって麻酔の効かせ方に差があるのかはわからない。

自分の体質か,歯医者の手腕か,何に責任を求めればいいのかわからないが,とにかくただ漠然と,「もしかしたら痛いかもしれない」という不安を抱えた状態で臨んだ。

 

結果,めちゃくちゃ痛かった。

 

意識を外に向けようと努力はした。

しかし,どんなに一面たんぽぽの丘を想像しても,

歯科医の

「これから歯茎を切りますね。」

「顎の骨を削ります。」

という宣言によって現実に引き戻され,生々しい現場を想像してしまう。

 

「痛かったら手をあげてくださいね。」

の気遣いに対しても,遠慮してしまった。

考えて過ぎてしまうタイプなので,「痛み」の定義とは?と問うてしまう。

ドリルのめり込む感覚,めりめり歯が引き剥がされる感覚・・・

思い返せば全て痛みであったが,「手をあげるべき痛み」かどうか,半ば死にかけの私には判断がつかなかった。

また,

この一瞬の痛みを耐えたら終わるのではないか・・・

これは今中断して麻酔を打つよりも,すこし耐えた方が効率的なのではないか ・・・

治療の効率を無駄に案じてしまった。

 

幼少期の話になるが,地元の歯医者にはなぜか,中世ヨーロッパの人が,のたうちまわりながら虫歯治療を受けている絵が飾られていた。

歯医者なのになぜそのような物騒な絵を貼るのか,その意図はわからない。

(おそらく,現代人は技術の進歩のおかげでこんなに安心な治療をうけられるんですよという暗示)

とにかくわたしの記憶にはその残像が残っており,痛むごとにその絵が脳裏をちらついた。

 

あまりにも全身に力をいれ,のたうちまわっていたので,歯科衛生士から

「痛いですか?」と聞かれ,うなずくと,

「痛いなら手をあげるんですよ。」となだめられてしまった。

 

ああ,そうか私は痛かったのか・・・。

 

今回も麻酔を3度打つことによって,いかに薬が効いてない状態でことが進んでいたのかに気がついた。

 

そんなこんなで,序盤と比べたら比較的ラクな状態で,親知らず発掘計画が進められた。

痛みはましになったものの,途中,手が痺れたり,手から血の気が引いて冷たくなったりした。

 

歯医者というものは,接近戦であるため,先生の息遣いがわかってしまう。

「はぁ・・・・はぁ・・・・」

素人でも,苦戦していることがわかる。

 

おそらく親知らず抜歯経験者ならわかるであろう,歯がめりめりと引き抜かれる感覚。

まっすぐ生えた親知らずを器具でそのまま抜く場合と違う点として,あの感覚が何度もある。

いつが終わりなのかわからない。

 

いつ終わるのか,早く終われ終われと案じているうちに,チクリとした痛みに変わり,唇に糸が触れる感覚がした。

 

勝った,勝ったのだ。

 

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術後は放置プレーであったため,落ち着くまで椅子にうなだれていた。

 

・今日一日は出血があるため,ガーゼを噛んだ状態でいること

・出血が増えるため,うがいは控えること

・ただ歯磨きは大事なので,傷口を刺激しないように磨くこと

・麻酔が3時間ほど効くため,唇を噛まないようにすること

・今日は薬を飲んだので,抗生剤や鎮痛剤を飲む必要はないこと

 

諸々の注意事項を聞き,歯医者をあとにした。

半ば放心状態の中,スーパーマーケットで,おかゆ,リゾット,ゼリー,プリンなど,「THE病気の時に摂る食事」を買った。

 

抜歯後は,当初心配していたほど痛くはない。

風邪で喉が腫れている感覚と似ている。

顎の骨を削ったのに,その後に大学に来て,研究指導をうけたので,人間はつくづくタフだなあと思う。

 

明日は消毒。

 

 

 

大学へのログインボーナス

ブログ作りました。

社会科学の大学院生です。

 

文系の院生って何するの?って率直に聞かれることが多い。

文献を読んだり,データを分析したり。

内容によっては在宅でできる。

とはいっても,大学でやったほうが緊張感もあるし,集中できるので,足繁く大学に通っている。

ただ,ここ最近は,

・動く間を惜しむほど早急なタスクがある

・コロナ流行ってる

・進捗芳しくなくて先生に合わせる顔がない

・周りの春休みモードに翻弄されてしまう

こともあり,家に篭りがちだった。

 

久しぶりに大学行って,厳しめの指導をいただいた後に,先生と同期と話す機会があったのだけれど,こういう何気ないコミュニケーションが大切だなあと改めて思った。

学部からの同期,学部から同じ研究室だけれど,たわいもない会話の中で,新しい情報や発見がいまだにある。(先生は,指導においては超人的存在なので,そういう殿上人の人間味を帯びたエピソードをきくのは励みになりますね。)

春からは,ほぼ同期がいない中での戦いになるので,先生との関係を大切にしつつ,先達の教えを参考に生き延びていきたい。

 

話している中で考えさせられたのは,これから3年間での学位取得に対するスタンス。

私は小心者だし,メンブレ野郎である一方で,根本的におおらかで,ある意味鈍い部分がある。

学位取得も就職も難しい世界であるけれど,うまくいかなくてもなるようになるのではないかと思っているし,コンビニのアルバイトでもなんでもして,食いつないでいく覚悟はある。

結婚出産も一切考えていないし,周囲との生活の差もあまり気にしていない。

ただ,そんな中でも,進学したんだから3年で学位をとるスタンスも必要だなと思った。

キャリアに対する柔軟さと,学位取得・就職への緊迫感のバランスが大切。