人の痛みがわからない生徒と,生徒の特性がわからない先生
ふと思い出した話.
中学生の頃,別のクラスの生徒のご家族が亡くなられた際,
その子に対して生徒Aが「お父さん,死んだの?」と話しかけたそうだ.
生徒Aは知的発達に遅れがあって,高校からは支援学校に進学した.
だから,おそらく悪気がなく質問をしたんだけど,
それを聞いた周りは青ざめて,一堂に非難した.
身近な人との死別というのは,「グリーフ」とも呼ばれるような深い悲しみを伴っていて,身体的にも精神的にも変化をもたらす.時間が経ったとしても癒えるものではないから,死別からあまり時間が経ってない時期に,そのようなセンシティブな質問をすることは当然無粋だ.
だけど,それにしても周りの当たりが強かったイメージがある.
周りの生徒も,言われて傷ついた生徒を守るために生徒Aを非難した.
そのクラスの体育会系の先生は,快活な生徒が好きな感じの先生で,割と日頃から生徒Aに対して当たりが強かった.
人の死っていう繊細な話題に,さらに通常学級の要支援生徒っていう対応しづらい生徒の要素が加わって,腫れ物扱いのような話題だった.
第三者目線だから,実際生徒Aがどのように感じていたかはわからないけど,私は,まわりの人が振りかざす正義が狂気を帯びていて怖いなあと思った.
そんなこと言ったらいけませんって言うだけじゃなくて,何がいけないのか,当人が認識できない部分を言語化して伝えてあげるのが,指導上で大切だと思う.
その先生だって,一部の生徒にとっては熱くて良い先生なんだろう.
だけど,教室での出来事,生徒の人物像を教師が多面的・多層的に捉えられたら,もっと多くの人にとって優しい教育になるんじゃないかなと思う.